会社員から古民家再生の道へ:歴史と暮らす、新しい幸せのカタチ
人それぞれの「しあわせのカタチ」を探求するこのサイトでは、多様な生き方や働き方の事例をご紹介しています。今回は、都市での会社員生活から一転、地方で古民家を再生・活用する事業に携わることを選択した方の道のりをご紹介します。安定したキャリアを手放し、不確実性の高い分野へ踏み出した背景には、どのような思いがあったのでしょうか。
会社員時代の「違和感」と芽生えた思い
都心のオフィスビルで、毎日決められた時間に出勤し、パソコンに向かう日々。効率やスピードが重視される環境で、一つの歯車として働くことに当初はやりがいを感じていました。しかし、数年が経つにつれ、自身の仕事が社会全体や目の前の人の生活とどのようにつながっているのか、実感しづらくなっていきました。
漠然とした「このままで良いのだろうか」という違和感が膨らむ一方で、週末に訪れた地方で目にした古民家の佇まいや、そこに息づく地域の文化に心を惹かれるようになりました。古い木材の質感、土壁の温かみ、庭に広がる緑。それらは、効率一辺倒の都市生活にはない、ゆっくりとした時間や人の手仕事の確かさを感じさせるものでした。同時に、多くが空き家となり、手入れされずに朽ちていく古民家の現状を知り、「このままでは地域の財産が失われてしまうのではないか」という危機感を持つようになりました。
一歩踏み出すための準備と葛藤
古民家への関心は、単なる趣味を超え、具体的な行動へと繋がっていきました。週末を利用して古民家に関するワークショップに参加したり、関連書籍を読み漁ったりする中で、「古民家を再生し、新たな形で活用する」という道があることを知ります。それは、単に古い建物を直すだけでなく、地域の歴史や文化を未来へ繋ぎ、新たなコミュニティや仕事を生み出す可能性を秘めた活動に思えました。
しかし、現実は甘くありませんでした。会社員としての安定した収入や社会的信用を手放すことへの不安、古民家再生に必要な専門知識の壁、そして何よりも「本当に自分にできるのだろうか」という自己否定的な思いが頭をもたげました。家族や友人からも、安定した仕事を辞めて不確実な道へ進むことへの懸念を示されました。
それでも、心の中で古民家への思いは消えませんでした。会社員として働きながら、少しずつ貯蓄を増やし、建築や法律、資金調達に関する勉強を始めました。また、実際に古民家再生に取り組んでいる人たちに会いにいき、話を聞く中で、理想だけでなく現実的な厳しさや、それでもやりがいを感じている人たちの姿に触れ、覚悟を決めていきました。
現実の壁:資金、知識、そして地域との関係
会社を退職し、地方に移住して古民家再生の活動を始めてから、想像以上の困難に直面しました。まず大きな壁となったのは、資金の問題です。物件の購入費用に加えて、構造補強や水回り、断熱改修など、再生には多額の費用がかかります。事業計画を立て、金融機関や行政の補助金に申請しましたが、すぐに資金が確保できるわけではありません。
また、建築に関する専門知識の不足は常に付きまとう問題でした。独学には限界があり、信頼できる職人さんや専門家との出会いが不可欠であることを痛感しました。彼らとのコミュニケーションや、専門用語の理解に苦労することもありました。
さらに、地域社会への溶け込みも重要な課題でした。移住者として、地域の慣習や人間関係の中に自然に入っていくことは容易ではありません。古民家再生は、単なる建物の改修ではなく、地域の景観や文化に影響を与える活動です。地域の理解や協力なしには進められないことを学びました。最初はよそ者扱いされていると感じる場面もありましたが、地域の活動に積極的に参加したり、困っていることを素直に相談したりする中で、少しずつ信頼関係を築いていくことができました。
困難を乗り越え、見えてきた光
これらの困難に対して、一つずつ向き合い、乗り越えていきました。資金面では、クラウドファンディングを活用したり、複数の金融機関に相談したりして、粘り強く交渉を続けました。専門知識については、地域の工務店さんや設計士さんに相談し、教えを請いながら進めました。失敗も多く経験しましたが、その都度学びを深めていきました。
地域との関係性においては、時間をかけて対話を重ねることを大切にしました。古民家再生の目的や、地域にもたらしたい良い影響について丁寧に説明し、地域の歴史や文化について教えてもらう姿勢を持ちました。地域の祭りや清掃活動に積極的に参加することで、住民の方々との距離が縮まり、応援してもらえるようになりました。
地道な努力の甲斐あって、少しずつですが古民家が息を吹き返し始めました。最初に手掛けた古民家は、改修を経て地域の交流スペースとして活用されるようになり、多くの人が集まるようになりました。
経済・生活の変化と得られた「幸せ」
会社員時代と比較すると、収入は不安定になりました。事業が軌道に乗るまでは、以前のような安定した給与はありません。経済的な不安が全くないわけではありませんが、お金だけでは測れない豊かさを日々の生活の中で感じるようになりました。
時間の使い方は大きく変わりました。決められた労働時間ではなく、自分自身で仕事のスケジュールを管理するようになりました。仕事とプライベートの境目は曖昧になり、長時間働くこともありますが、その活動は自身の内なる声や地域への思いに根ざしています。
人間関係も大きく変化しました。会社という組織内の関係から、地域の住民、職人さん、行政職員、そして古民家に関心を持つ多様な人々とのフラットな関係へと広がりました。困難を共に乗り越えたり、一つの目的のために協力したりする中で生まれる繋がりは、深く温かいものです。
何よりも変化したのは、価値観です。効率や経済成長といった指標だけでなく、歴史を敬い、古いものを大切にし、地域コミュニティの中で助け合いながら暮らすことの価値を実感するようになりました。自分の手で古民家が再生され、そこに再び人々が集まる光景を見たとき、言葉にできないほどの達成感と喜びを感じます。それは、かつて感じていた「社会とのつながりが見えない」という違和感を埋めるものでした。
この事例から学べること
この事例から、私たちはいくつかの大切な学びを得ることができます。一つは、自身の内なる声や違和感に耳を傾けることの重要性です。安定した環境に安住せず、自身の「好き」や「大切にしたい」という思いを追求することが、新しい道を開くきっかけとなります。
二つ目は、理想と現実のギャップ、そして困難に立ち向かう覚悟と、それを乗り越えるための粘り強さです。新しい挑戦には必ず困難が伴います。しかし、一つずつ丁寧に向き合い、周囲の協力を得ながら進むことで、道は拓かれます。
三つ目は、自分がどのような状態や環境に「幸せ」を感じるのか、問い直してみることです。経済的な安定だけが幸せの指標ではありません。時間の使い方、人間関係、社会との繋がり、そして自分が大切にしたい価値観に基づいて生きることも、多様な幸せのカタチであり得ます。
会社員という働き方だけが全てではありません。自身の興味や関心、そして社会に対して貢献したいという思いから生まれる多様な生き方や働き方があります。古民家再生という道を選んだこの方の事例が、自身のキャリアや生き方について考える読者の皆さんにとって、新たな可能性やヒントを提供できれば幸いです。