しあわせカタチ図鑑

会社員から音楽教室の先生へ:好きな音色に囲まれて見つけた新しい生きがい

Tags: キャリアチェンジ, 音楽, 独立, フリーランス, 趣味の仕事化

満員電車と好きな音色のはざまで

都心のオフィスビルに通う日々の中で、心の中に常にあったのは、休日や仕事終わりに触れる楽器の音色でした。会社員として安定した収入を得ていましたが、日々の業務に追われる中で、何か大切なものが欠けているような感覚が募っていきました。それは、子どもの頃から親しんできた音楽への情熱を、もっと日々の中心に置きたいという静かな願いだったのかもしれません。

多くの会社員と同様に、漠然とした「このままで良いのだろうか」という問いを抱えながらも、具体的な行動に移せない時間が続きました。しかし、歳を重ねるにつれて、「好きなことに真正面から向き合える時間は限られているのではないか」と強く感じるようになったのです。

安定を手放し、未知の世界へ

音楽を仕事にしたいという思いは膨らみましたが、会社員としての安定を手放すことへの不安は小さくありませんでした。特に、音楽で生計を立てるというイメージは、プロの演奏家か、非常に有名な指導者といった限られたもので、自分にそれができるのか、具体的な道筋が見えませんでした。

それでも、休日に趣味で人に教える機会があった際に感じた喜びや手応えが、一歩踏み出す勇気を与えてくれました。まずは副業として小さな規模で始め、徐々に独立を目指すという選択肢も考えましたが、当時の会社の規定や、本腰を入れて取り組むには時間的な制約が大きいことから、退職して専念するという道を選びました。決断は容易ではありませんでしたが、一度きりの人生で後悔したくないという気持ちが勝りました。

理想と現実のギャップ:集客と経営の壁

会社を辞め、いざ音楽教室の開業準備を始めると、想像以上に多くの壁に直面しました。楽器の指導法はもちろん、教室の場所探し、レッスンの料金設定、教材の準備、そして最も大きな課題である「生徒を集めること」です。

知り合いや口コミである程度の生徒さんは来てくれましたが、それだけで経営を成り立たせるほどの規模にはほど遠い状況でした。チラシを作って配ったり、地域のイベントに参加したり、ウェブサイトやSNSで発信したりと、あらゆる集客方法を試しましたが、すぐに結果が出るわけではありません。毎月の家賃や生活費を考えると、焦りを感じる日々が続きました。

また、演奏や指導とは全く異なる事務作業や経理、生徒さんや保護者とのコミュニケーションなど、経営者としての業務に時間を取られることも、当初は想定外でした。好きな音楽だけに向き合っていれば良いわけではない、という現実を痛感しました。経済的な不安から、一時的に他のアルバイトをすることも検討せざるを得ない状況でした。

困難を乗り越えたプロセスと見えた光

これらの困難を乗り越える上で支えになったのは、やはり「音楽が好きだ」という純粋な気持ちと、数少ないながらも集まってくれた生徒さんたちの存在でした。生徒さんが楽しそうに演奏している姿や、少しずつ上達していく様子を見ることが、何よりの励みになりました。

集客については、すぐに効果が出なくても地道に継続することが重要だと学びました。特に、体験レッスンに来てくれた方や既存の生徒さんとの丁寧なコミュニケーションを心がけることで、口コミが少しずつ広がり始めました。また、他の地域の音楽教室の先生と交流する機会を持ち、情報交換や相談をすることで、孤独感が和らぎ、新たな視点を得ることもできました。

経済的な面では、収入が不安定であることを受け入れ、支出を見直すことから始めました。豪華な教室設備は諦め、自宅の一室を活用したり、中古の備品を探したりと、工夫を重ねました。収入がゼロになる月もあれば、まとまった収入が入る月もあるというサイクルに慣れるまでには時間がかかりましたが、会社員時代の固定給とは異なる、自らの働きが直接収入に繋がるという経験は、大きな学びとなりました。数年かけて、ようやく経営が安定軌道に乗り始めました。

音色に囲まれた新しい幸せのカタチ

会社員から音楽教室の先生への転身は、決して楽な道ではありませんでした。安定した収入や社会的な信用といった、会社員が得られるものを手放すことには、常に不安が伴いました。しかし、それと引き換えに得られたものは、何物にも代えがたい価値を持っています。

今は、朝起きてから夜寝るまで、常に好きな音楽に囲まれています。生徒さんの成長を間近で見守り、音楽の楽しさを分かち合える日々に、深いやりがいを感じています。もちろん、経営者としての責任や苦労はありますが、それも含めて「自分で選び取った人生を歩んでいる」という実感があります。

会社員時代の経験も無駄ではありません。計画性やコミュニケーション能力など、多くのスキルが今の仕事に活かされています。異業種からの転身であっても、これまでの経験が新たな道で役立つ可能性は大いにあるのだと実感しています。

この経験から、「幸せのカタチ」は一つではないことを改めて学びました。安定した収入や肩書も一つの幸せですが、自分の情熱に従って生きること、好きなことで他者に貢献できること、そして自らの手で道を切り拓いていく過程そのものも、確かに幸せなのだと感じています。

キャリアに迷いがある方も、ぜひ一度、ご自身の心の中にある「好き」や「やりたい」にじっくりと耳を傾けてみてはいかがでしょうか。その小さな音色が、新しい生き方への扉を開く鍵となるかもしれません。