食卓を囲む場づくり:会社員から地域で「食」を繋ぐ活動へ転身
はじめに
現代社会において、「食」は単なる栄養摂取の手段を超え、人々の心を繋ぎ、文化を育む大切な要素となっています。食卓を囲むことは、家族や友人との団らんの場であり、地域においてはコミュニティ形成の核となることもあります。会社員として日々を過ごす中で、そうした目に見えない繋がりや、手触りのある営みに惹かれ、自身のキャリアの方向性を見つめ直す方もいらっしゃるかもしれません。
この記事では、長年会社員として働いた後、地域で「食」を媒介にしたコミュニティづくりや場づくりに活動の軸足を移した方の事例をご紹介します。会社員時代の葛藤から、新しい道を模索し、実際に活動を開始するまでの道のり、そしてそこで直面したであろう困難や、どのようにそれを乗り越え、新たな「幸せのカタチ」を見出していったのかについて、そのリアルな体験に焦点を当てていきます。
会社員時代の葛藤と「食」への目覚め
今回ご紹介する田中さん(仮名)は、都内のIT企業で約15年間、企画職として勤務されていました。仕事そのものに大きな不満があったわけではありませんが、日々の業務が数値目標の達成や効率化に終始し、自分が本当に社会と繋がっている実感や、誰かの役に立っているという手応えを感じにくい状況に、漠然とした物足りなさを抱えていたといいます。会議室での議論やPCの画面越しのコミュニケーションが中心で、人と人との温かい交流や、地域に根差した営みから遠ざかっている感覚があったそうです。
そんな田中さんの心の拠り所の一つが、「食」でした。忙しい日常の合間を縫って自宅で料理をしたり、週末に地方の道の駅を訪れて新鮮な野菜を手に入れたりすることに喜びを感じていました。特に、地方を訪れた際に触れた、地域の人々が大切にしている食材や、それを囲んで語り合う風景に心を打たれたといいます。それは、会社で経験するのとは全く異なる種類の、豊かで人間的な繋がりだと感じたそうです。
「食を通じて、もっと人と深く関わりたい」「食が持つ、場を和ませ、心を開かせる力を活かしたい」という思いが募り始め、自身のキャリアや生き方について真剣に考えるきっかけとなりました。
新しい道への第一歩:準備と模索
地域で食を繋ぐ活動を始めるという漠然とした目標を抱きつつも、会社をすぐに辞める決断はできませんでした。まずは週末などを利用して、具体的な準備や情報収集から始められたといいます。地域の食に関するイベントやマルシェに積極的に参加したり、料理教室に通って基礎を学び直したりしました。また、地域づくりやコミュニティビジネスに関する書籍を読んだり、同じような活動をしている人を探して話を聞きに行ったりもされました。
活動のイメージを具体化する中で、「単に料理を教えるだけでなく、食を介して人々が集まり、語り合い、新たな関係が生まれるような『場』を作りたい」という思いが固まっていきました。そのために必要だと感じたのは、料理のスキルだけでなく、コミュニケーション能力やイベント企画・運営の知識、そして何よりも地域に入っていくための姿勢だと気づかれたそうです。
会社を退職するまでの約2年間、こうした活動と並行して、地域との接点を少しずつ増やしていきました。最初はボランティアとして地域のイベントで料理を提供したり、知り合いの農家さんの手伝いをしたりしながら、その地域の空気や人々の温かさに触れていったそうです。この期間は、経済的には会社員としての安定した収入がありましたが、時間的な制約の中で活動の時間を確保すること、そして慣れない地域での人間関係を構築していくことに、少なからず苦労があったといいます。しかし、「好きなこと」に向かっている実感と、そこで生まれる新しい出会いが、大きな原動力となったそうです。
地域での活動開始と直面した困難
会社を退職し、地方に移住して本格的に活動を始められた後、想像していなかった困難に直面することも多々あったそうです。まず経済的な面では、会社員時代の安定した収入はなくなり、収入は活動の規模や集客に大きく左右されるようになりました。初期の活動資金も自身の貯蓄を切り崩しながら賄っていく必要があり、計画通りに進まないことへの不安は常にあったといいます。
また、地域での人間関係も一筋縄ではいかないものでした。よそ者として地域に入っていくことへの壁や、既存のコミュニティとの関わり方、地域の慣習や文化への理解など、表面的な繋がりから一歩踏み込んだ関係性を築くためには、根気と時間が必要でした。「なぜ会社を辞めてまでこんなことをするのか」と理解されないことや、時に好奇の目で見られることに、孤独を感じることもあったそうです。
さらに、活動の運営面でも課題は山積でした。参加者の募集、広報活動、会場の手配、食材の仕入れ、企画内容の調整など、全てを一人でこなす必要があり、体力的、精神的な負担は想像以上に大きかったといいます。特に、集客がうまくいかなかった時の落ち込みや、企画が参加者の期待に応えられなかった時の反省は、精神的にこたえるものでした。
困難を乗り越え、見出した「幸せのカタチ」
こうした数々の困難に対し、田中さんはどのように向き合っていったのでしょうか。経済的な不安に対しては、活動内容を少しずつ増やし、複数の収入源を確保する努力をされました。料理教室だけでなく、地域の食材を使った加工品の販売、飲食店のメニュー開発サポートなど、食に関連する様々な仕事にチャレンジしていきました。
人間関係の課題については、焦らず、誠実に地域の人々と向き合うことを心がけました。地域の清掃活動に参加したり、イベントの手伝いをしたりと、まずは自分ができることで地域に貢献することから始めました。飾らない田中さんの人柄と、食を通じて地域を盛り上げたいという熱意が少しずつ伝わり、理解し協力してくれる人が増えていったそうです。地域の農家さんや漁師さんとの繋がりもでき、活動の幅が広がっていきました。
運営上の課題については、一人で抱え込まず、地域の協力者を募るようになりました。イベント時にはボランティアを募ったり、広報活動をSNSだけでなく地域の掲示板や口コミに頼ったりと、地域の力を借りながら活動を継続していきました。失敗から学び、参加者の意見を真摯に聞き入れながら、企画内容を改善していく地道な努力も続けられました。
こうした困難を乗り越えていく過程で、田中さんの「幸せ」に対する考え方も変化していきました。会社員時代のような経済的な安定や社会的な肩書きはなくなりましたが、その代わりに得られたものがあったからです。それは、自分の手で何かを生み出す喜び、活動を通じて地域の人々や参加者と心を通わせる温かい繋がり、そして何よりも、自分の「好き」を追求し、それが誰かの笑顔に繋がるという深い充足感でした。
「収入は減りましたが、心は豊かになったと感じています。毎日のように誰かの『美味しい』という笑顔を見られたり、『この前参加した料理教室で作った料理、家族に好評でした!』と声をかけていただけたりすることが、何よりの喜びです」と田中さんは語ります。地域に根差し、食を通じて人々と繋がる活動は、田中さんにとってまさに「自分らしい幸せ」のカタチだったのです。
この事例から得られる示唆
田中さんの事例は、会社員以外の生き方、特に「好き」や「地域との繋がり」を軸にしたキャリアを模索する多くの人々にとって、示唆に富むものと言えるでしょう。
まず、「好き」を仕事にする道のりは、必ずしも華やかな成功だけではないという現実です。そこには経済的な不安定さ、人間関係の苦労、運営上の困難など、様々な壁が存在します。しかし、それらの困難にどう向き合い、どのように乗り越えていくかというプロセスこそが、自身の成長や新しい「幸せ」の発見に繋がるのかもしれません。
次に、地域や人との繋がりが、活動を持続させるための重要な力になるという点です。一人で全てを抱え込むのではなく、周囲の協力を得ること、地域に貢献する姿勢を持つことが、困難を乗り越える鍵となります。地域に根差した活動だからこそ得られる、温かい人間関係や支え合いがあることを示しています。
そして、「幸せ」の定義は一つではなく、経済的な豊かさや社会的な評価だけでなく、心の充足や人との繋がり、自己実現の中に見出すことができるということです。会社員という働き方から離れることで、一時的に失うものがあったとしても、それ以上に大切なものを手に入れることができる可能性を示唆しています。
まとめ
田中さんの事例は、会社員として働きながらも「何か違う」と感じている方々にとって、自身の内なる声に耳を傾け、勇気を持って新しい一歩を踏み出すことの大切さを教えてくれます。食を通じて地域に根差し、人々と繋がるという選択は、経済的な困難や人間関係の壁など、様々な現実的な課題を伴う挑戦でした。しかし、それらを乗り越えた先にあったのは、お金や肩書きだけでは得られない、人との温かい繋がりや、自身の活動が誰かの幸せに繋がるという深い喜びでした。
「しあわせカタチ図鑑」は、このように人それぞれの多様な幸せのカタチや生き方を紹介しています。今回の事例が、読者の皆様が自身のキャリアや生き方を見つめ直す上で、何か新しい可能性やヒントを見つける一助となれば幸いです。自分にとっての「幸せ」とは何か、どのような生き方をしたいのか、ぜひ立ち止まって考えてみてはいかがでしょうか。