しあわせカタチ図鑑

会社員からカフェオーナーへ:コーヒーの香りに見つけた「自分らしい幸せ」

Tags: カフェ開業, 独立, 脱サラ, 生き方, 働き方, 起業

会社員という安定を手放し、一杯のコーヒーに賭けた人生

毎日同じ時間にオフィスへ向かい、決められた業務をこなす。多くの会社員にとって、それは安定した生活を築くための道筋かもしれません。しかし、心の中で「このままで良いのだろうか」という問いが生まれることもあります。「しあわせカタチ図鑑」では、そのような問いに向き合い、自らの手で新たな道を切り拓いた人々の事例を紹介しています。

今回は、長年会社員として働いた後、一念発起して小さなカフェを開業したAさんの物語です。安定した環境から未知の世界へ飛び込み、様々な困難に直面しながらも、自分にとっての「幸せ」を見出したその道のりをご紹介します。

満員電車に揺られながら抱いた「漠然とした想い」

Aさんは、都内のIT企業でシステムエンジニアとして10年以上勤務していました。残業も多く、日々忙殺される中で、次第に仕事への熱意が薄れていくのを感じていたといいます。キャリアアップの目標も見えなくなり、ただ漫然と与えられた業務をこなす日々に、漠然とした不安や物足りなさを募らせていました。

「このまま定年まで働き続けるのか」という問いが頭から離れなくなったある日、通勤途中に立ち寄った個人経営の小さなカフェで、心地よい空間とオーナーと常連客が楽しげに話す光景を目にしたそうです。その時、「自分もいつか、誰かがほっとできるような場所を作りたい」という思いが芽生えました。それは具体的な計画ではありませんでしたが、心の片隅に温かい光が灯った瞬間でした。

夢を現実にするための第一歩:会社員生活との両立

漠然とした思いが具体的な目標へと変わったのは、カフェに関する書籍を読んだり、休みの日を利用して様々なカフェを巡るようになったことがきっかけでした。次第に「理想のカフェ像」がAさんの頭の中で明確になっていきます。しかし、会社員としての収入があるからこそ、安定した生活を送れている現実もありました。すぐに会社を辞めるという選択肢は現実的ではありませんでした。

そこでAさんが選んだのは、会社員を続けながら開業準備を進めるという道でした。平日は仕事に集中し、終業後や週末の時間を活用して、カフェ経営に関する知識を独学で学び始めました。食品衛生責任者の資格取得、ラテアートやエスプレッソの抽出技術を学ぶためのスクール通い、そして何よりも重要だったのが「資金計画」でした。

会社を辞めるタイミング、必要な初期費用、当面の運転資金、そしてそれが尽きる前に軌道に乗せるための戦略。これらを練るために、何度も事業計画書を作成し直しました。金融機関への相談も複数回行い、融資の可能性を探りました。安定した会社員としての信用は、融資を受ける上で有利に働いた側面もあったそうです。しかし、同時に「本当に成功するのか」という不安は常に付きまといました。周囲の友人や家族からも、安定した職を手放すことへの心配の声が聞かれました。

退職、そして直面した開業の現実

十分な準備期間を設けた上で、Aさんは会社に退職の意思を伝えました。長年勤めた会社を離れることに寂しさや不安もありましたが、それ以上に新しい挑戦への期待が大きかったといいます。

退職後、すぐに物件探し、内装工事、備品購入と慌ただしい日々が始まりました。理想の物件を見つける難しさ、想定外の工事費用、初めての従業員採用(最初はアルバイト数名でしたが)など、机上の計画通りに進まない現実に何度も直面しました。特に資金繰りは常に頭を悩ませる問題でした。計画していた資金だけでは足りなくなりそうな局面もあり、追加融資を検討するなど綱渡りのような状態が続きました。

そして念願のオープン初日。期待と不安が入り混じる中、迎えた現実は決して甘くはありませんでした。予想していたほどお客様が来ない日、仕入れのロス、慣れない接客や店舗運営業務に追われる日々。体力的にも精神的にも追い詰められ、「会社員に戻った方が楽なのではないか」と弱気になったことも一度や二度ではありませんでした。

困難を乗り越え、見えてきた光

開業後の困難を乗り越える上で、Aさんを支えたのは、地域の人々や徐々に増えてきた常連のお客様の存在でした。 「大変そうだけど、応援しているよ」「ここのコーヒーが好きだよ」といった温かい言葉や、毎日お店に立ち寄ってくれるお客様との何気ない会話が、Aさんの大きな原動力となりました。

また、自分一人で抱え込まず、従業員と協力すること、周囲に助けを求めることの重要性も学びました。地域のイベントに積極的に参加したり、SNSを活用してお店の情報を発信したりと、集客のための地道な努力も続けました。

経済的な安定にはまだ遠い状況ですが、会社員時代には感じられなかった「やりがい」や「充実感」を日々感じているといいます。お客様が笑顔でコーヒーを飲み、お店でくつろいでいる姿を見る時、そして「ありがとう」「また来るね」と言ってもらえた時に、何物にも代えがたい喜びを感じるそうです。

生活と価値観の変化、そして見つけた「幸せのカタチ」

カフェを開業してからのAさんの生活は大きく変化しました。まず、時間の使い方が全く変わりました。会社員時代は決められた時間に出社していましたが、今は早朝から仕込みを始め、夜遅くまで営業準備や事務作業を行うなど、労働時間は増えました。しかし、その時間は全て自分の店のためであり、自分の裁量で決められるため、苦痛は感じないといいます。

人間関係も変化しました。会社の上司や同僚との関係から、お客様、従業員、地域の商店街の人々との繋がりが生活の中心となりました。様々なバックグラウンドを持つ人々と触れ合うことで、視野が広がり、新しい価値観に触れる機会が増えました。

経済的には、会社員時代のような安定した月収はありません。売上によって変動するため、不安を感じることもあります。しかし、お金だけでは得られない「やりがい」や「誰かの日常に小さな幸せを提供する喜び」を手に入れました。

Aさんが見つけた幸せのカタチは、経済的な安定や地位といった従来の価値観とは異なる場所にありました。「自分の居場所を自分で作り、そこで誰かと繋がり、感謝されること」。それが、Aさんにとっての新しい幸せの定義となったのです。

この事例から何を学ぶか

Aさんの事例は、安定した会社員生活を離れて自らの夢を追うことの困難さと、それを乗り越えた先に得られる深い満足感を示しています。

ここから学べることはいくつかあります。一つは、「漠然とした思いを行動に移すための具体的な計画と準備の重要性」です。感情的な勢いだけでなく、資金計画やスキル習得といった現実的な準備が不可欠であることが分かります。二つ目は、「困難は必ず訪れるものであり、それを乗り越えるためには周囲との繋がりや自身の柔軟な対応力が求められる」ということです。一人で抱え込まず、助けを求める勇気も必要です。そして三つ目は、「幸せの価値観は多様であり、安定や経済的な豊かさだけでなく、やりがいや人との繋がりの中に幸せを見出すことも可能である」ということです。

もしあなたが今の働き方に疑問を感じ、「何かを変えたい」と考えているのであれば、Aさんのように自身の心に灯った小さな光を見つめ直してみてはいかがでしょうか。それはすぐに会社を辞めることではなくても、まずは情報収集から始めたり、小さな一歩を踏み出すことかもしれません。多様な生き方の中に、あなたらしい幸せのヒントが隠されている可能性があります。